7月最終土日、能登半島地震の影響で中止となったキリコ祭りを除いても、複数の花火大会も含めて各地で様々なイベントや祭りが行われた。
そんな中、今年は過去にまだ撮影できていなかったいなみ太子伝観光祭の木遣り町流しと木遣り奉納踊りを撮影することにして、南砺市井波を訪れた。
町流しが18時半からということで、18時10分頃に瑞泉寺に最も近い観光案内所横の駐車場に到着、まだ5台ほどしか止まっていなかった。
ある程度予想はしていたが、それにしても人が少なく、町流しが始まる気配が一切感じられない。
改めて確認すると町流しの出発地点の旧井波駅前は駐車場から700mほども離れた場所だったので、急いで移動。
開始時間にギリギリ間に合い、直ちに撮影開始。
木遣り踊りを撮影するのは「いなみ灯りアート」で行われていたのを初撮影して以来5年ぶり。
大抵のカメラマンは花火大会に行くので、あえてこの祭りを撮影している一般のカメラマンは自分以外ほぼいない。
見学者も95%は町の人のようだった。
一番驚いたのは町流しが進まないこと。
その場で踊って、踊り終了後に休憩しつつ移動してまた踊るという形式だった。
進まないタイプの町流し初めて見たかも。
そもそも進まないのは町流しなのだろうか笑。
木遣り踊りのメインは1回の踊りの後半にある日の丸扇子を広げて踊る部分。
初見の時は夜だったこともあってかなり撮影に苦労した。
今回の撮影はf1.4とf1.8の単焦点レンズを利用。
18時半を過ぎ、しかもメイン通りのほとんどは建物の日陰になるので、明るさ的にズームレンズでは厳しいと判断した。
19時頃には単焦点レンズでも限界の暗さになったのでこれで正解だった。
拍子木で開始や終了の合図。
それにしても暑い。
19時を過ぎても30℃超えで、何もしていなくても汗が垂れてくる。
後ろで可愛らしい感じに結ばれている襷。
現場で初めて知ったが、木遣り踊りは少しずつ場所を変えながら約二時間で9回も行われる。
AチームとBチームに分かれ、交代しながら踊っていた。
瑞泉寺が近づくにつれて徐々に見学客が多くなってくる。
ピーク時には瑞泉寺から一番近い駐車場はほぼ満車だったように思う。
木遣り踊りは、江戸時代に火災で焼失した瑞泉寺の復興のために五箇山から木材を運んだときの唄が起源とされる。
女子は扇子、男子は采配をもって踊る。
男子の一人は丸太を模した巨大な台車の上で踊る。
木遣り踊り保存会の他、地元の小中学生が参加。
アジア系外国人も数人見受けられた。
総勢200人くらいだっただろうか。
4回目?の踊りが終わった時点で19時10分、明るい時間帯はもう十分すぎるほど撮影し、明るさも限界を迎えたので一旦車にストロボを取りに戻った。
19時50分、完全に暗くなったので、ストロボを用いて撮影再開。
ストロボは連写できないので、どうしても撮れ高が少なくなる。
20時20分、ようやくお目当ての1つだった瑞泉寺前の石畳の八日町通りで行われた8回目の踊り。
提灯もあっていい雰囲気なので多くの撮影機会が欲しかったが、ここでの踊りは1回だけだった。
正面上方から撮影してブログのキャッチアイ画像を確保。
八日町通りには屋台などもあり、多くの見学客。
20時半に木遣り町流し終了。
木遣り奉納踊りに備えてすぐに瑞泉寺に移動すると、境内ではすでに太子堂前で木遣り音頭・太子伝音頭奉納踊りが行われていた。
20時50分過ぎ、この日の最終行事である木遣り奉納踊り開始。
正面付近を場所取りできたが、町流しの時とは違って身動きが取れない。
動きが出るようにシャッタースピードを遅めにしてみる。
一応照明も設置されていたが、ストロボなしで撮影できるほどの光量はなかった。
21時過ぎ、木遣り奉納踊り終了。
帰り際、境内や山門の様子を軽く撮影。
これを撮影するためにわざわざ三脚を持ってきた。
21時半、八日町通りの食事処などはすでに店じまいしていた。
この時間帯でもまだ30℃、汗だくで帰宅。